
2010年1月12日の「100系新幹線電車」をデビューとし始まった「のりものマメ知識」。今回で掲載から半年が経過しました。これまでに全22回をお送りいたしましたが、読者の皆様に「マメ知識分」をお届けすることができましたでしょうか?今後もまだまだ「のりものマメ知識」は続いていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
写真はJR北海道の釧網本線を走るキハ40形気動車です。同系は日本国有鉄道(国鉄)が1977年から製造したディーゼルカーで、キハ40系のグループの一員です。全国各地の非電化路線で活躍し、主にローカル地区の普通列車で運用されています。国鉄がJRとなった現在でも、JR各社の非電化路線をメインに活躍を続けています。
…と、今回はこのキハ40形の魅力をお送りしたいと思いますが、キハ40形の属するキハ40系のグループは、合計で900両近く製造された国鉄ディーゼルカーでも巨大なグループです。様々な環境に対応するため、ドアの位置や運転台の数、車内座席配置…などなど様々なバリエーションが用意されました。今回はそのキハ40形の「車体色」に着目した「マメ知識」をお届けします。「系式」については、今後の「のりものマメ知識」でお届けできるかと思いますのでどうぞお楽しみに。
さて、キハ40形はキハ40系グループも含め製造当時すべて同じ色の塗装でした。今思えば900両近い車両がすべて同じ色というのはすごいことだと思いますが、当時の国鉄は特急・急行用以外のディーゼルカーを「朱色」一色の塗装とする方針でした。この色はレールファンなどから「首都圏色」や「タラコ色」などと呼ばれており、長らくの間「非電化ローカル線の色」として親しまれてきました。
『…ん?…「首都圏色」なのになんで「ローカル線の色」なんだ?』
…とお考えの読者の方がいらっしゃると思います。確かに「首都圏」と「ローカル線」は矛盾していますね。実はこの「首都圏色」の名称には、こんな由来があったのです。
「首都圏色」が誕生したのは、キハ40形が誕生する1年前の1976年です。当時非電化であった相模線(神奈川県茅ヶ崎駅~橋本駅)を走行するキハ30系気動車で初めて採用されました。その後、八高線(東京都八王子駅~群馬県倉賀野駅)などの首都圏非電化路線で順次採用されたため、「首都圏色」と呼ばれるようになったのです。1977年にはキハ40系への採用により「首都圏色」が首都圏以外にも広がり、翌1978年に車両の塗装規定が改正され全国に広がりました。この結果「首都圏色」が地方のローカル線をイメージする色となったのです。
国鉄末期頃になると、キハ40形や先述の相模線のキハ30形なども徐々に「首都圏色」から塗装変更がなされていきます。そして1987年に国鉄が民営化されると、JR各社内で様々な色にカラーリングされ「首都圏色」はどんどん姿を消していきました。とてもカラフルとなったキハ40形は、現在でもその多くがローカル線で活躍を続けています。例えばJR東日本の五能線(秋田県東能代(ひがしのしろ)駅~青森県の川部駅)は白地に青のライン、石巻線(宮城県小牛田(こごた)駅~女川(おながわ)駅)は白・緑・黄緑のいわゆる東北色と呼ばれるカラーリング、JR西日本の岩徳(がんとく)線(山口県岩国駅~櫛ヶ浜(くしがはま)駅)は黄色・白のツートンカラーを黒いラインが隔てる色遣いなどなど、実に色とりどりです。また、城端(じょうはな)線(富山県高岡駅~城端駅)や姫新(きしん)線(兵庫県姫路駅~岡山県新見(にいみ)駅)の一部などではラッピングされた車両が走るなど、それぞれの地域でそれぞれの姿のキハ40形が頑張っています。一部は「ジョイフルトレイン」として改造されたものもあります。2010年3月19日の「のりものマメ知識」で紹介した「リゾートみのり」も同系を改造した「ジョイフルトレイン」です。これらを含めるとカラーリングは多彩で、朱色一色であったということを忘れさせてしまいます。
このように地方独自の塗装が増えていくと、今度は逆に「首都圏色」が人気を集め、「首都圏色」として活躍を続けていたJR西日本山陰地区のキハ40系が注目されるようになります。さらにJR各社でも「リバイバルカラー」として「首都圏色」に戻され、誕生時の姿を復活させ運行されています。昔懐かしい色でのんびりと走るキハ40形の姿は、かつての国鉄時代のローカル線の風景を思い起こさせてくれるに違いありません。

次回は首都圏を走る近郊用電車のご紹介。お楽しみに。