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写真の車両は青森県にあった南部縦貫鉄道で使用されていた「レールバス」と呼ばれるディーゼルカーです。同社は、沿線で採掘された砂鉄を製鉄所へ運搬する需要を見込んで、1962年に千曳(ちびき)~七戸(しちのへ)間で開業しました。しかし、砂鉄輸送計画が中止となったため苦しい経営が続きました。1968年には東北本線複線化により千曳駅が移転したため、旧東北本線千曳~野辺地間を借用して起点を野辺地駅に変更しています。その後、国鉄の民営化に伴い、国鉄清算事業団に移管された旧国鉄線を借用した部分の買い取り問題により存続が困難になりました。この結果、1997年に営業休止となり、残念ながら2002年には廃止されました。 砂鉄輸送の需要は見込まれていましたが、旅客需要は多く見込めないので、この写真の通り小型である「レールバス」を2両用意しました。他に、常総筑波鉄道から譲渡されたディーゼルカーを1両保有していましたが、後年、写真の後方に写る国鉄から譲り受けたキハ10形ディーゼルカーと交代しています。 高校進学率のアップや小学校の統廃合による通学需要の増加が見られ、ラッシュ時間帯には大型のディーゼルカーが活躍した時期もありましたが、休止するまでレールバスが主力でした。休止直前には全国から「レールバス」を求めて多くのレールファンが足を運びました。 「レールバス」は、1950年代半ばに国鉄ローカル線で、その後、一部私鉄が導入したディーゼルカーです。バスボディを応用した小型軽量の車体に、バス用のディーゼルエンジンを搭載するなどバスの部品を多く使用していますが、れっきとした鉄道車両で、欧州視察時に独仏で導入が盛んだった小型ディーゼルカーに感銘を受けた長崎国鉄総裁の指示で計画が具体化しました。車両の長さは約10mと非常に小さくバスと同程度でした。側窓は、当時のバスでは標準的な構造で、レールファンから「バス窓」と呼ばれた方式でした。これは上下2段の窓で上段がHゴムで固定されているという構造で、バスだけでなくディーゼルカーや電車でも見られました。運転は、クラッチペダルを踏んでシフトレバーを操作してギアチェンジを行う、マニュアルミッションのバスと同じ操作で行っていました。このような運転操作が必要なディーゼルカーは機械式と呼ばれ、以前は多く見られましたが、このレールバスが営業用では最後でした。 閑散地区をメインに導入されたレールバスですが、国鉄路線においては車体があまりにも小さいことにより、1両では通勤・通学ラッシュ時の乗客増加に対応できないことが大きな問題となりました。機械式であるため、2両以上連結した車両を1人の運転士で運転する統括制御ができず、2両以上増結すると各車両に運転士が乗車して操作しなければならず、人件費がかさむという難点がありました。このような理由により、比較的短い期間で国鉄では「レールバス」を文字通り「持て余す」状態となっていました。さらにバスに準じた軽量構造であったために老朽化も早く、ニーズにマッチできなかった「レールバス」は徐々に活躍の場を狭めてゆき、1968年に国鉄車の全車が廃車となりました。しかしながら南部縦貫鉄道の「レールバス」は1962年登場以来、営業休止までの約35年間にわたり活躍を続けました。それは国鉄が「持て余し」気味だったことに対して南部縦貫鉄道ではもともと旅客数をあまり見込んでいなかったおかげで車両数も少なく、小さな「レールバス」は地元のニーズにしっかりとマッチしていたからでした。 南部縦貫鉄道が廃止となった現在では、「レールバス」は同好会の手によって旧七戸駅で動態保存されています。同所のレールも整備され、定期的に運転も行われているようです。昔も今も小さな車体で一生懸命走る「レールバス」は愛され続けています。 |




