江戸庶民が興じた「品川の潮干狩り」-品川駅ほか・品川名物 貝づくし【後編】

品川名物 貝づくし最先端のビルやホテルが立ち並び、誰もが「都会」であることを感じる地、品川。新幹線も停まりますし、交通の便も至って良好ですよね。この繁栄ぶりは、江戸の頃から続いているといっても過言ではありません。

江戸時代、品川は東海道五十三次における第一宿。西の大名らの参勤交代や、お伊勢参りへ向かう人々で大いに賑わいました。陸路はもちろんのこと、海運においても交通の要所として栄えていたほどです。

といっても、江戸城の本丸からみれば、当時の品川は「郊外」。宿場の中心からちょっと離れると、田畑を耕す人々や、舟で漁に出る人々の姿をそこかしこで見ることができたといいます。農村や漁村としての顔も持っていたといえるでしょう。

さらにもうひとつ、品川は江戸の庶民にとって、格好のレジャースポットでもありました。現代風にいえば「日帰り“ぶらり”散歩スポット」ですね。今も地名として名を残す「御殿山」は、当時では上野のお山に匹敵する、江戸有数の花見スポット。八代将軍徳川吉宗の政策により、この地に桜が植樹され、御殿山から桜と富士を望む浮世絵を、葛飾北斎が描いています。


一方、安藤広重の浮世絵に描かれているのが、品川の遠浅な海を利用した潮干狩り。着物をたくしあげた女性が品川の地で潮干狩りに興じる様子が描かれています。今回の駅弁「品川名物 貝づくし」の由来といえるでしょう。ちなみに明治時代、モースによって「大森貝塚」が発見され、縄文時代からこの地で貝が採れていたことが証明されました。

さて、かつての品川名物として外せないものがあります。それは「海苔」。18世紀初頭には海苔の養殖が全国に先駆けて盛んになり、品川でとれた海苔はそのまま浅草に運ばれ、そこで紙漉きのような要領で加工され、皆さんご存知の「浅草海苔」となりました。

品川名物 貝づくし
浅草海苔の生産地は、品川だったんです。その名残りかどうか定かではありませんが、おせんべいに海苔を巻いたものは「品川巻き」と呼ばれています。


今となっては水位が上がった関係もあり、潮干狩りも海苔の養殖も厳しい品川の地ではありますが、海沿いには漁村時代を彷彿とさせる風景に、ふと出会うこともあります。魚介類をふんだんに使った天ぷら屋さんが多いのも特長のひとつです。秋の休日、品川郊外をそぞろ歩いて「かつての姿」を探してみてはいかがですか?

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