
豊前国・小倉の常盤橋から、肥前国・長崎の地を結ぶ57里(約228km)。それが、かつて栄えた長崎街道です。
駅弁「長崎街道焼麦弁当」のお膝元、鳥栖にも轟木宿や田代宿といった宿場があり、交通の要所として栄えていました。長崎といえば、国内で唯一海外貿易がなされる地。長崎街道は数々の舶来品や渡来人が行き来するとともに、九州の大名達の参勤交代ルートとしても利用されていたことでしょう。
毎年10月になると、轟木宿と田代宿の間を、江戸時代の装束を纏ったガイドが案内するウォーキングイベント「長崎街道まつり」が開かれています。通行手形の発行や茶店、芸能演芸で賑わい、かつての街道筋の雰囲気を存分に伺い知ることができるイベントです。
次に鳥栖が「交通の要所」たりえたのは、鉄道です。明治になって初めて九州に鉄道が敷かれた時に鳥栖駅は開業。以来、操車場や機関区などが作られて、鉄道の街として名を馳せました。現在は行なわれていませんが、ブルートレインの分割・併合を行なった駅としてもおなじみです。
高度成長期には九州自動車道、長崎自動車道、大分自動車道を結ぶ鳥栖ジャンクションもあり、時代は変われど「交通の要所・鳥栖」はいまだに健在です。
そんな鳥栖の地の駅弁メーカー、中央軒が製造販売する「長崎街道焼麦弁当」。その中には「しゅうまい(焼麦)」と「かしわめし」、2つの名物が入っています。その2つの由来について少し触れてみましょう。

まずは「かしわめし」。鳥栖は古くから鳥との縁が深く、応親天皇が在位した270年頃、鳥栖には鳥屋があり、さまざまな鳥を献上していたとか。「鳥巣の郷」が、後に鳥栖になったそうです。「栖」は「栖む(すむ)」、つまり「住処(すみか)とする」という意味があります。以来、鳥栖の地では「晴れ」の日の料理として鶏料理が振舞われる習慣が根付きました。そして焼麦。中央軒さんでは、長崎在住の中国人に本場の味を教えてもらい、その味にアレンジを加えて独自の焼麦を作り上げたそうです。
ひとつの駅弁で2つのご当地名物が食べられて、ちょっと得した気分になれる長崎街道焼麦弁当。鳥栖に立ち寄る際はぜひともお試しください。