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【週刊ノリスケ】 JR直営航路は3月末まで
国鉄連絡船と言えば、北海道への主要幹線だった青森と函館を結ぶ青函連絡船、四国への主要幹線だった宇野と高松を結ぶ宇高連絡船が有名でした。このほかにも何航路かありましたが、この2航路の他では明治時代に山陽本線と共に山陽鉄道から引き継いだという長い歴史で知られる宮島連絡船も国鉄末期まで存続していました。 ここまでの内容は「国鉄連絡船の生き残り…宮島航路」と題して、2007年7月1日付けの週刊ノリスケで取り上げています。国鉄連絡船の生き残りは宮島航路のみですが、実は、JR九州が博多港と長崎オランダ村を結ぶ航路を開設し、船舶事業に乗り出しました。当初はJR九州が直営で行っていた船舶事業ですが、後に運行航路を博多~釜山の国際航路に変更しました。さらに、2005年にはJR九州高速船株式会社というJR九州の子会社を設立することで、関連会社の事業としました。この結果、再び宮島連絡船がJRグループ唯一の直営航路になったわけです。 しかし、JR西日本は2008年12月4日に宮島連絡船を運航する子会社を設立し、船舶事業を移管すると発表し、2月2日にJR西日本宮島フェリー株式会社を設立しました。このあと4月1日から宮島連絡船の運行をJR西日本から引き継ぐ予定です。これでJRグループが直営する航路は消えることになります。むろん航路自体は残り、これまで通り「青春18きっぷ」も使えるそうですが、直営でなくなると聞くと感慨深いものがあります。 写真は、3隻ある宮島連絡船のうち、唯一国鉄時代に建造された「ななうら丸」です。他の「みせん丸」「みやじま丸」は前後対称のスタイルで前後進自在という、このようなピストン運行の短距離航路に向いた合理的な船ですが、個人的には「ななうら丸」の方が船らしくて好きです。 実は、JR西日本の船舶事業は赤字部門でした。今回の分社化で収支が改善され、末永く国鉄連絡船の名残を伝え続けられることを期待したいですね。 トラックバック
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